私って鈍い?!(陣痛に気がつかない、鈍感な私)

入院生活は、単調に過ぎていった。

朝起きて食堂にご飯を食べに行き、
食堂においてあるめぼしい本を物色し
部屋に持ちかえり読む。
たまに、
売店にお菓子を買いに行き隠れて食べ(爆)
そのせいで体重が増え先生に怒られ
(体重測定は、2週間に1度くらい)
毎日お腹のはりを40分ほど調べ、
赤ちゃんの様子を見るための
超音波の検査をしに先生が部屋を訪れ、
決まった時間に
3回ほど赤ちゃんの心音を聞きに
看護婦さんが部屋を訪れ、
ダンナが夕方お見舞いにきて、
食堂に夕食を食べに行き、9時には消灯。

書いてるだけで思い出して・・・ふぅ(笑)

自分は元気なつもりでいた私は、
好き勝手に病院内を歩き回っていた。
病室の私の名札のとこに赤い紙が張ってあったが、
なんの事やらわからずにいたけど
実は

産婦人科病棟からは
出ては行けない患者だったらしい
(爆)

それを知った後も、聞いてないからいっか。
と、すたすた歩き回って、
よく先生に、
「そんなにはやく歩かないで!」
と言われていた。(笑)

そのまま出産まで、
持ちこたえられるかと思っていたが、
その事態は急に起きた!

6月21日(日)、
その日は、ダンナの誕生日だった。
お腹のはりを調べるための機械をつけたまま、
私は看護婦さんと出産の話で盛り上がっていた。

私の枕もとに、
帝王切開で出産した人の体験漫画が置いてあり、
それをチラッと読んだ看護婦さんと、
この大学病院でも、
同じなのか聞いていたのだ。

その看護婦さんは、
私と年も近くとても気が合ったので、
友達みたいに喋っていて、
笑ったらお腹が張っちゃうね。と言いつつも、
かまわずに大笑いしながら喋っていた。

話も一区切りして、
ふと
お腹のはりを表すグラフが表記された紙を見た看護婦さんが、
ン?と言う顔をした。
「お腹はってます?」
「ん〜〜〜、
そういわれれば、そんな気もするけど、そんなには。」
と答えた私に、そのグラフを見せてくれた。

あれ?!
6分おきにお腹がはってる?!
護婦さんと顔を見合わせ、
もう一度グラフを見て、お腹をなでてみた。
別にそんなにはってる気はしないんだけどなぁ。
と思ってる間に、
看護婦さんは先生を呼んできた。
先生はグラフを見て、
急に険しい顔になり、看護婦さんに指示を出し始めた。
なんだなんだ?と思ってる間に、
ベット上で検査が始まった。
結果、
お腹ははってるが、子宮の入り口はまだ硬いままらしい。
でも、予定日までまだ1ヶ月くらいある。
今、産まれてきてもらうのは、早過ぎる。
その場で、はりを止める点滴を打たれ、
ベット上安静(ベットの上から動いてはいけない)宣告。
ベットの脇に、トイレも置かれた。
その日は、
私の大好きなおかずが出る夕食で、
楽しみにしていたのに、
明日の朝まで
飲み食い禁止宣告も出される!!!(笑)

先生は
「今、産まれると大変だから、
なんとかあと1週間はもたせたい」
と言った。
そういえば、あと1週間すれば、36週。
どうにか9ヶ月になるわけだ。
9ヶ月なら、
出産後も未熟児センターとかに入院することなく、
産まれてこれるかもしれない、
みたいな事を、言っていた。
ただ心配なのは、
はり止めの点滴の濃度をあまり強くしすぎると、
かえってよくないらしく、
このままはりがおさまらずに
出産となった場合の事だ。
赤ちゃんは、まだ充分に機能が出来ていないから、
長く入院してもらう事になるかもしれないらしい。
「頑張りましょう」
そう言って、先生は去っていった。

その日に限って、
病院にくるのが遅くなったダンナは、
ベットに縛り付けられた私を見て、驚いていた。
説明すると、「ウソ?!」と、なんだか嬉しそう。
何事かと思えば、
自分と同じ誕生日に
産まれてくるかもしれないという希望がわいたらしい。
私のお腹にお腹に口をあて、
「お〜い、今日産まれてこいよぉ」
などと好き勝手な事を言って、
私の姿を見て散々笑って仕事に行った。
(ダンナは夜の仕事)

ま、結局、ダンナの希望は、
見事に打ち砕かれたんだけど、
6分おきにお腹がはるってことは、
かなりの事らしい。
それに気付かず、
看護婦さんと喋ってた私って・・・
先生も、
「ホントに(6分間隔ではってるのに)何でもないの?」

不思議そうにしてたし。
私は、かなりの鈍感らしい・・・・・・